BMW Oracle Racing アメリカスカップのヨット

BMW Oracle Racing は現代のアメリカスカップのヨット

BMW Oracle Racing のような現代のアメリカスカップの艇は、最新鋭の設計を取り入れた船型となっています。Oracle Racing は、アメリカスカップに挑戦するために、2003年に創設されたシンジケートで、データベース、ソフトウェアで有名なORACLEの創設者、ラリー・エリソンによって組織されました。2004年8月になってチーム名は、ドイツ、BMWのバックアップを受け、“ BMW Oracle Racing ”、となっています。

アメリカスカップのヨット BMW Oracle Racing
BMW ORACLE RACING USA=76

チームの経歴は、2000年に行われたアメリカスカップの挑戦艇を選ぶシリーズ、“Louis Vuitton Cup”、においてイタリアの “Luna Rossa”、に敗れたポール・ケーヤードが率いる、“America One”、シンジケートを買収する形で創設されています。この大会では、アメリカスカップの元々の所有者であった“ニューヨーク・ヨット・クラブ(NYYC)”から、“Young America”、が出場して、カップの奪取にチャレンジしています。

この2000年アメリカスカップでのディフェンダー(防衛艇)は、1995年大会の本戦で優勝し見事アメリカからカップを奪取したニュージランドの、“Team New Zealand”、で“ブラックマジック”という名前で呼ばれる艇でした。

その後、スキッパーをポール・ケイヤードから、クリス・ディクソン、ピーター・ホルムベルグに交替し、ラリー・エリソンが2003年に、the Golden Gate Yacht組織したところで、その年2003年のアメリカスカップを戦いましたが、“Louis Vuitton Cup”、において惜しくも、スイスの、“Alinghi”、に、5対1で敗れ去り、挑戦者シリーズで敗退、アメリカスカップの本戦に進むことができませんでした。この大会では、アメリカから、ピータ・ギルモアが率いる“One World Racing”も参加しています。

2003年のアメリカスカップの本戦で、ニュージランドの、“Team New Zealand”、からスイスの、“Alinghi”、にカップが移り、戦いの舞台は、ニュージーランドから、スペインのバレンシアに移りました。“BMW Oracle Racing”は、2007年のアメリカスカップ、挑戦艇シリーズ、“Louis Vuitton Cup”、に出場し、2007年5月20日、セミ・ファイナルにおいてイタリアの、“Luna Rossa”、に5対1で敗れ去り、残念ながら、挑戦者シリーズのファイナルに進むことができませんでした。

敗れ去ったものの、、“BMW Oracle Racing”、は現代におけるアメリカ唯一のアメリカスカップ挑戦艇であり、アメリカを離れ、スペインの地にあるカップを奪取するべく活動を続けており、1951年のNYYC、“アメリカ号”の挑戦者のマインドを持ちつづけているといえるでしょう。

ヨット模型 USA_76 BMW オラクル

オラクルチーム USA

 



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